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聖者の宮廷音楽 - カウワーリー(カッワーリー) Qawwali

カウワーリーとは?
南アジアの宗教的大衆音楽の一ジャンル。
イスラーム神秘主義教団チシュティー派の修道儀礼音楽。

カウワーリーの目的は?
修道儀礼音楽として、詩・旋律・リズムによる陶酔状態に修行者を導き、ハール hal (エクスタシー状態) を経て神との神秘的合一体験(ファナー fana 消滅)をさせること。
そして再び現実世界に連れ戻すこと。神秘体験の箱舟(乗り物)としての機能を担う。

qawwal_image.jpg

カウワーリーを行う人とは?
アミール・フスロー Amir Khusrau (1253-1325) が始祖と言われている。
インド・デリーのペルシア語詩人・音楽家・宮廷宰相・神秘主義者(スーフィー)。
ヒンドゥスターニー古典音楽の創始者、シタール、タブラーなどの考案者としても有名。
チシュティー教団教主ニザームッディーンに帰依し、修道儀礼音楽としてカウワーリーを確立。
尊師を神のように愛する多くの歌の作詞者であり作曲者。

[ カウワール Qawwal ]
ムガル帝国の宮廷音楽資料にもカテゴリーとして記された、カウワーリーに特化した職能的音楽家。

フスロー直伝の家系を誇る一派もいる。シーア派多し。
古典音楽の魅力を備え、修道者・一般大衆を詩の内容と歌唱力の妙技でトランスへと誘う特殊技能者。

カウワーリーの構成

・音楽的構成
歌詞に重点を置く「歌」といえるが、限りなく古典音楽に近い準古典 light classical に分類。


1. 器楽演奏部 ナグマ naghmah
2. リズムフリーのヴォーカル、詩吟部分 アーラープ alap
3. リズムを伴う作曲された本体部 バンディッシュ bandish
主唱者、復唱者、手拍子・合唱、ハールモニウム、タブラー(ドーラク)からなる

 

・歌の内容による構成
1. ハムド hamd : 神アッラーへの賛歌
2. ナート na’t : 預言者ムハンマドへの賛歌
3. マンカバト manqabat : スーフィー聖人(アリーや様々な聖者)への賛歌

・詩の言語
神秘主義詩人の詩が組み合わされてストーリーを構成する
1. ペルシア語
2. ウルドゥー語/古ヒンディー語
3. パンジャービー語

カウワーリーのディスクと来日楽団について

録音され販売された音源を頼りに、短くではあるがカウワーリー・ディスクと来日したカウワーリー楽団について紹介してみたい。

1993年に発売された「Vintage Music From INDIA:Early Twentieth-Century Classical & Light-Classical Music.(Rounder CD 1083)」には、英領インド帝国時代の録音から、3曲ほどカウワーリーの演奏を聴くことができる。1908年のモハンマド・フセイン Mohammad Hussein、1920年代のピール・カウワールPearu Qawwalとカールー・カウワールKaloo Qawwalの記録である。どれも時代を反映して3分前後の長さで収められている。

 

1900年代初期には、ウルドゥー語詩の歌としてカウワーリーのレコードはよく売れたという。預言者ムハンマドを讃えるナートの範疇に入る歌謡である。主唱者の歌の背後にはハールモニウムと打楽器の伴奏が聞こえるが手拍子(ターリー)はない。当然来日履歴はない。

CD_Vintage Music From INDIA.jpg

日本で最初にカッワーリーとして発売されたレコードは、1979年5月に出たLP

「カッワーリー~スーフィーの音楽:ザ・サブリ・ブラザース&アンサンブル QAWWALI Sufi Music from Pakistan : The Sabri Brothers & Ensemble」であろう。

現在もCDはこのタイトルで入手でき、1978年、ニューヨークでのコンサート模様が収録されている。

サーブリー・ブラザーズ楽団は、インド側のパンジャーブからパキスタンに独立時に移住してきた出自を持ち、パキスタンのカウワーリーを海外で初めて紹介した先駆的なグループである。

カラーチーを拠点に活躍し、主にウルドゥー語による詩歌をバラエティー豊かな楽器構成で、強力な声量かつエンタテインメント性にもこだわったアレンジで独自のスタイルを確立した。

カッワーリー~スーフィーの音楽:ザ・サブリ・ブラザース&アンサンブル.jpg

来日こそなかったが、ヒンディー映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子 Bajrangi Bhaijaan』内で、聖者廟で歌われるカウワーリーの歌『願いをかなえてよ 預言者ムハンマド Bhar Do Jholi Meri』は、70年代にヒットした彼らのオリジナル曲だ。間接的にインド経由で日本に作品は届いたことになる。

ついでカウワーリーの代名詞としてワールド音楽世界を席巻したヌスラット・ファテ・アリー・ハーンNusrat Fateh Ali Khan。1987年9月の国際交流基金のイベント「アジアの神・舞・歌:愛と祈りの芸能」で初来日し、ビクターに『法悦のカッワーリー[I][II]』という二枚のCDを吹き込んだ。

ヌスラットたちを引率して来日した国立伝統文化遺産研究所(Lok Virsa)のアーダム・ナイヤル博士Dr.Adam Nayyarをして、スタジオ録音では世界最高の作品と言わせしめた日本が世界に誇るディスクだ。ヌスラットは4~5回ほど来日しただろうか。

とにかくカッワーリーといえば即「ヌスラット」だったのだ。しかし彼は1997年にこの世を去り、甥のラーハットが現在はこの楽団長を務めて活躍している。

法悦のカッワーリー[I][II].jpg

インドからは「大インド祭」で招聘されたジャーファル・フセインJaffar Hussainが1988年に来日し、キングから『カッワーリーの真髄~ジャーファル・フセイン』をリリースした。

 

このCDには収められていないが、小西正捷先生監修の下に試みられたラージャスターンの民謡グループ二隊、パンジャーブの民謡グループとのハプニング的合同演奏「ダマーダム・マスト・カランダルDama Dam Mast Qalandar」が圧巻で、当時テレビでそのセッションを見た私は打ちのめされた。イスラーム、ヒンドゥー、スィクという宗教の壁を跨ぎ合いながら共演できるポピュラー・ソングの存在とその魔力に侵されたことで、今の私がいる。

カッワーリーの真髄~ジャーファル・フセイン.jpg

2004年、アリオン音楽財団「東京の夏音楽祭」が招聘したのは、現在もなおパキスタンを代表するカウワーリー楽団のトップランナーである、メヘル・アリー&シェール・アリー楽団 Mehr Ali & Sher Ali Ensemble。彼らのカウワーリーを中心に、クルアーン朗誦者、スーフィー聖者、ドール太鼓楽団らが各所で交差する聖者廟(ダルガー)の聖域スペースを立体的に構成したコンサートであった。

 

キングから二枚組のライヴCD『パキスタンのカッワーリー―メヘル・アリー&シェール・アリー』が、コンサート二日目の全貌を記録している。カウワールと太鼓奏者ドーリーは、現地では通常交わらない音楽領域を固辞しているが、ここでは初めての試みで共演が成功している。

パキスタンのカッワーリー―メヘル・アリー&シェール・アリー.jpg

そして、2006年の「ラマダンの夜」コンサートに、パキスタンから来日したファイズ・アリー・ファイズFaiz Ali Faizの輸入盤にヌスラットの面影を少し感じた後は、しばらくカウワーリーの来日はお預けになっていた。

 

ファイズ楽団のタブラー奏者でバダル・アリー兄弟の長男リズワーン・アリーRizwan Aliが来日時に売り込んできたバダル・アリーたちとの縁が基で、2012年、2013年の来日公演が実現する。

 

バダル・アリー&バハードゥル・アリー兄弟楽団に関しては日本で発売されたCDは今のところないが、パキスタンで出している音源か、今回のライヴ音源からCDまたはCDRディスクが日本で生まれる可能性が高いとだけ言っておこう。カッワーリーではなくカウワーリーの表記で日本初のディスクが生まれるようにチーム一丸となって努力してゆきたい。ぜんぜん短くならなかったこと御赦しを。

 

2019/07/01 文責:村山和之

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